スペインの旅 2
           5月14日

 朝、河野さんがホテルへ迎えにきてくれる。車は9人乗りのベンツ。爽やかなマドリードの市街を走り抜け郊外へ出ると、ピソ(マンション)の建設ラッシュで、新築中の現場をいくつも見ることができる。しかし、一方アフリカあたりからの移民の住むバラック小屋の地域もある、好景気に沸くスペインの明と暗を見る。最初の目的地は、マドリードから南へ約50qのアランフェス。
  車中のBGMは、アランフェス協奏曲。(心憎いね)王宮はあいにく改修中でシートに覆われた部分があり残念。おまけにガイドのオネエサンがまくしたてるスペイン語の説明は、まったく解らない。Tさんが「せめて英語で」と願い出るが、オネエサンには通じない。(最初にスペイン語か英語が決まっていたらしい)フラッシュなしの撮影はOKなのだが、カメラを構えるとオネエサンがまくしたててくる。仕方がないので撮影は諦め、じっくり各部屋の装飾を眺めるのに専念する。見るだけでもテーマ毎のすばらしい部屋、ロココ調の豪華な家具から贅を尽くした当時の王家の生活に想いを馳せることができた。
 荒地の多いカスティーリャ地方の中で、タホ川の河畔にすずかけの森と緑の多い庭園、散策すると、オネエサンの声ではなく、「幻想のアランフェス」がどこからともなく聴こえてくるようだ。
観光いちご列車も走るくらいここは「いちご」の名産地らしい。が食べ損なった。
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     そしてラ・マンチャ地方へ。

 葡萄畑の広がる平原から突き出た丘の麓がコンスエグラの町。丘の尾根に沿って11基の風車と城が並んでいる。小麦畑の向こうの丘に立つ白い風車を見つけて、私達は歓声を上げた。丘からの360度大パノラマの眺めはすばらしく感激。吹き抜ける風が気持ちいい。丘にはカモミールに似た白い花が咲き乱れ、小麦畑にはアマポーラの花もチラホラし、アーティチョークの原種が堂々と生えていた。丘を降りて、振り返れば遠くに風車の並ぶ丘が見える。ラ・マンチャの男は風車を巨人と思ったのだそうな。
  
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 アンダルシア街道をひたすら南へ


  車窓の風景は、赤い大地の葡萄畑が続く。
 途中の峠で休憩。
 切り立った岩山の展望台からの眺めは、すば
 らしかった。ちょっと山梨の昇仙狭に似ている。
 
 峠を越えると白い大地のオリーブ畑に変わる。
 コンスエグラからグラナダまで約400q 途中街道沿いのレストランで昼食タイム。

 ここで河野さんは、駐車した車の見える位置に座る。車の後部に乗せた荷物が丸見えだから、盗まれる恐れがあるというのだ。白昼そんな?と思うが、Nさんがあやしい男女が車を見ていると言う。確かに前や後ろを二人でずっと見ている。食事をしながら見ると向こうもこちらを見たり車をみたり?食事を終え車にいくと、なんと私達の車の後ろに駐車したカップルさんが真後ろに車を止められ、出るに出られず困っていたのだ。全員ホッとしてカップルさんに手を振って別れる。

 スラリとした糸杉が見えてくると、緑豊かな街、グラナダに到着。今日の500kmに及ぶドライブは無事終了した。

 ホテルに入り、シャワーを浴びたり着替えたりの後、ロビーに集合。先発しサラマンカ大学でのコンサートを終え前日グラナダに着いていた吉川二郎さん一行と感激の対面をし、揃ってレストランへ。そこへギターリストでありながら、現役の医師でもあるホセ・マヌエル・カーノ夫妻と日本語情報センターを主宰するグラナダのあやしいおじさんこと大道正樹さんが合流し、総勢13人での楽しい食事会となった。
そしてホテルへ帰ると、またしてもバタンキュー。

     ホセ・マヌエル・カーノ

1956年に世界的なギタリスト、マヌエル・カーノの子息として生まれる。幼少より音楽に並々ならぬ感性と才能を示し、7歳の時、彼用の特別のギターを与えられるとたちまち腕を上げ、その情熱的な演奏は、父を彷彿させるものがあった。17歳で父と「ふたつのギターのためのコンサート」を録音。グラナダ大学医学部を卒業後は医師としての道に専念していたが、1990年の父の死を機に演奏活動を再開。1990年91年92年に来日公演。現在医師としての仕事を持ちながら、国内外の重要なコンサートに出演。スペインを代表するコンサートフラメンコギタリストとして高い評価を得ている。2004年8月来日し清里スペイン音楽祭、茨城ギター館等で公演し各地でその実力を知らしめた。